???? 院長コラム 『長嶋茂雄、原点はおばあちゃんのチケット』2025.6.23

院長コラム 『長嶋茂雄、原点はおばあちゃんのチケット』

先日、巨人の長嶋茂雄が享年89歳でお亡くなりになりました。よく調べると日本のプロ野球が職業野球として始まったのは、1936年(昭和11年)。実は89年前なんだそうです。そうなんです。実は長嶋茂雄は、日本のプロ野球が誕生した歴史的な年に生まれているんです。まさに野球の申し子の様な人だったんですね。

そんな長嶋の逸話と言えば、これまで語り尽くせないほど沢山あります。その逸話の中で一番長嶋らしい話を紹介します。

長嶋と言えば、常に野球をエンターテイメントと考え、とにかくファンを大切にし、楽しませ、喜ばせるために、魅せる野球に徹した人でした。

そんな長嶋が師と仰いでいたのが、ニューヨークヤンキースの伝説的選手であるジョー・ディマジオです。ディマジオは、マリリンモンローと結婚し、新婚旅行で日本を訪れたことでも有名です。

そのジョー・ディマジオは、怪我をしても決して休まなかったそうです。それは、「私が休んだそのゲームに私を初めて見に来てくれた子供がいるかもしれない」と言う思いがあったからだそうなんです。

長嶋は、当然ディマジオの影響を受けています。あるインタビューで次の様な事を言っています。

『なけなしのお金を貯めて観に来てくれる人、人生の最後の野球観戦として観に来る人、やっとの思いでチケットを手に入れて観戦に来てくれる人、そんなたった一回の野球を楽しみに観に来る人がいるのに、いい加減なプレーは絶対にできない。そんな人達がやっぱり長嶋はすごいなあと思って帰ってもらいたい。だから、いつも気は抜けないし、全力でプレーしなくてはならないと思っています。』,

こんな思いで毎試合やったら、その一挙手一投足も見逃せない、そんな気持ちにさせてくれたのではないかと思います。ファンにはきっと伝わるんだろうなあ、誰もが憧れる長嶋茂雄選手は、こんな思いが作ったんだと思いました。

先日ある記事を見て、長嶋茂雄の思いの原点はここなんだと思わせる記事を読みました。以下にその内容を原文のまま引用します。

オリックスプレーウェーブのキャンプ地で長嶋さんが講話を行った時の話です。

 祖母が無理して1枚だけ後楽園球場の巨人―阪神戦のチケットを手に入れてくれた。

 まだ小学生だったが、長嶋少年は1人で千葉・佐倉から2、3時間かけて後楽園まで行ったが座席は左翼ポールの真後ろ。小さい体では試合があまり見えなかった。

 それでも長嶋少年はカクテル光線に輝くグラウンドの巨人と阪神の選手を見て、「ジャイアンツの三塁を守る」と心に誓った。

 そして、佐倉第一、立大を経て1958年に巨人入り。そして1959年6月25日の展覧試合に出場した。

 そのとき、長嶋さんは「村山(実)さんから打った打球がレフトポールを巻いて落ちた地点が初めて座ったあそこだったんです」とドラマのような話をしてくれたという。

たった一回のやっと手に入れたチケットで野球を観て、思いを膨らませていたのは、紛れもない長嶋茂雄少年、本人だったんです。

長嶋茂雄が少年の頃の強烈な思い出を大切にしながら、プロ野球に入って当時の自分に恥じない野球選手になろうと実践していた、長嶋茂雄はそんな純粋な気持ちを持った野球選手だったのではないかと改めて思いました。

自分は常に全力で診察にあたれているんどろうか、僕もプロとして全力でやれているんだろうかと思うと、背筋がピントする思いになります。長嶋茂雄選手の現役時代を見たことのない自分でも魅了される長嶋茂雄は、やっぱり凄い選手だなあと思ってしまいました。

今回も最後までお読みいただき、有り難うございました。またまた、野球の話になってしまいました。申し訳ありませんでした。今日も長嶋茂雄の様に全力で診察いたします。今後とも宜しくお願い申し上げます。

『うれしい、楽しい、大好き、きっと上手くいく、ついてる』良い言葉を使って、自分も周りの人も幸せにしちゃいましょう。

今日一日が良い日でありますように????????????????????